2019年6月24日(八段語録3568)
私の人生を助けてくれた人


 二十代後半から三十代前半にかけて、人間性の全てを受け入れて、持ち上げてくれた指導者がいました。
その方の指導は、「公義と正義」の指導をする方で、決してかいらいの指導者ではなかったのです。
というのも、他の指導者の評価は、ほとんど否定的でしたが、その方は、全面的に信頼してくささって、適材適所として用いて下さったのです。
その間、人間というものは不思議なもので、最大の知恵を振り絞って、最高の成果を上げ、評価も高くなったのです。

用いてくれた理由は、武道精神を貫いて、事に当たったからというのが一番でした。
次に、私を信頼するグループがあって、方針を同じく一致させることができたのでした。
さらに、私と同じ主張をしながら、体制に巻き込まれて消えていった人がいたのですが、私の場合、断固として信念を貫いて対応したという事があげられるのです。

ところで、私を擁護してくれた指導者が、脳梗塞で倒れたのです。
守りが無くなって、吹きさらしにされ、荒海を航海する船のように彷徨ったのでした。
その時に、気づかされたことは、その人がどれだけ私をかばい、協力してくれたという事でした。
そのかばってくれた指導者の行為は、「この男は何かをやってくれるであろう」という期待感があったという事だと、他の人から聞かされたのでした。

今にして思えば、本気になって取り組んで、業績を上げることができた期間でした。
擁護してくれて、能力を認めてくれる人が出ていなければ、海の藻屑となっていたかもしれないのです。
そして、能力を発揮して活躍したことは、今の私の礎になっているのです。
人生の基礎が、その時着実に固められたという事だと思っているのです。

昨日も、私の意志と協調してくれる友人と共に語り合う事が出来ました。
更なるたかみをを目指して、精進していきたいと思うのでした。