2019年6月18日(八段語録3561)
砕かれる陶器師の器


 「土の焼き物の器」を砕くという作業の連続を手塚故会長は実践してきたのです。
私が出会って、遺族派という事で、生命掛けの戦いを裁判中心に勝利したかと思えば、
その中心に立つべきである手塚会長は、さっとその団体から抜けるのです。
また、新しい団体を作るのですが、それも意に添わなければ、一人飛び出すのでした。

陶器師が粘土で製作中の器を自分の手で壊し、再び陶器師自身の気に入った他の器に作り替えていくようでした。
陶器ならばわかるのですが、団体そのものとなると、大きな決断になったのではないかと推測するのです。
それも、私が見ているだけでも、三回繰り返していたのでした。
メッセージとしては、陶器師が器を砕くならば、二度と治すことができないように、破壊的に砕くという意図があったように見えるのです。

その様子を見て、このグループで副会長として歩んできた私は、決して乱れた組織にしないという事を、意識して取り組んだという事にもなります。
何よりも手塚会長が恐れていたことは、「家族」としてのつながりが亡くなるという事でした。
それも、自分が主人であるかのように分派するような人が出現した時は、怒り方はすさまじいのです。
かつての手塚会長の師範代であった人も、その怒りに触れて除名という事にもなったのです。決して気分ではなく、人としてあるまじき行為に対する怒りなのです。

結論的に、手塚会長の意志に聞き従わなかったことの懲罰的裁きは凄まじかったのです。
その意図は、決して組織を大きくしようとするのではなく、家族を作るという事なのです。
そして、このグループは家族として誇れるという意識は常に大きかったのでした。
そのような意味では「覆水盆に返らず」という姿勢を貫いたことになります。

正しいという概念を掲げて、それを実行して妥協しないというグループに育て上げて下さいました。
その頑固さは、私も化身になっているようで、理念を決して曲げないのです。
その姿勢は、私の代だけでなく、次へと継承されていくのだと確信しているのです。