2019年6月16日(八段語録3556)
昇級・昇段した帯を腐らせるな


 腰に締める帯が腐って無用なものにしてはならないという事をひたすら会長として叫びます。
帯は、極真の修行者としての誇りとして、腰に巻くものであります。
その帯を、押し入れに隠してしまった道場生も多いのです。
その帯を隠せとは、指示も命令もしていないのですが、いつしか押し入れに入れて腐らせてしまうようです。

そうすると、押し入れから取り出した時には、何の役にも立たなくなってしまっているのです。
本来帯に相応しい修行をすべきであるというメッセージを、期待されていたにも関わらず、まったくふさわしくない無用な長物になってしまったという事です。
本来ならば、帯がその人に結び付き、多くの内容を勝ち取っていくという事なのです。
「名となり栄誉となり栄となるための道しるべ」という事なのです。

帯は、次の段階へ至るつなぎ目にもなるのです。
帯が腐ってしまい何の役にも立たなくなってしまっては、成長はあり得ないという事です。
級・段の帯は、その修行の時点での最高に誇れる段階を表すという目印なのです。
その恵みの素晴らしさに気づくことなく、目に触れようとすることもなければ、約束を与えられているという事に対しても気づかなければ、打ち壊されるように帯は腐ってしまうのです。

結論的に、帯は成長の段階を練り直すという意味があるのです。
時をかけて、その人を大いに復興させるかのように成長をもたらせるのです。
帯には、将来と希望を与える為の計画が着実に組み込まれているのです。
その姿は、「川のほとりにある木のようだ。時が来ると実がなり、その葉は枯れない」というところなのです。
何をしても栄えるという方向に導くのが帯の威力なのです。

もちろん、帯は人生という長い取り組みをさせるためのものです。
私自身も、極真を始めて五十年という歳月をかけて、今の帯に辿り着いたのです。
感慨深いものがあります。