2019年6月15日(八段語録3555)
苦しくとも原則を貫く


 「正しい事」をするという事は、廃墟になることも覚悟という事です。
「正しい事」とのパートナーシップを守るという事は、必要な事です。
自分の思いで人生を戦っていくという事とするならば、間違いは付き物です。
それだけに、完全に打ちのめされるという事も覚悟をしなければならないという事にもなります。

「良い実を実らせる美しい緑のオリーブの木」であっても、間違いを起こすとするならば、火をつけられ枝を焼かれるというものです。
このグループに対しても、常に手入れをしてきたとしても、問題が生じるならば断罪しなければならないこともあるという事です。
日々大変な努力を繰り返しながら、手間をかけて築いてきた目に入れても痛くない存在です。
それだけに、原則を貫くという事に終始するという事になります。

ところで、世の中でニュースが流れるのですが、「悪者が栄えている」ように伺い知ることもあります。
そのような疑問に対する答えは、見つかるようなものでもなさそうです。
私自身、人生を走ってきて、疲れてしまう事があるのです。
それだけに、馬に乗っている人と比べることが出来ようかという事でしょうか。

また、平穏な地で安心して暮らしているのに、どうしてアマゾンの密林で暮らせようかというものでしょう。
レベルが違う人生を比較することはできないという事であり、断罪は天地の法則が裁くという事です。
私自身の耐えがたき錘は、悪人まで背負う事が出来ないという事でもあります。

自分が信じる道をひたすら正しいとする以外にないように思うです。
少し、先送りのような表現ですが、悪人と比べることはできない訳です。
また、悪人に対して、断罪しても正当化されるだけでしょう。
そうであるならば、極真というベースをしっかり踏襲して、前に進む以外にないという事です。