2019年6月11日(八段語録3550)
憩いのある幸せな道


 実に日本国民は、平和ボケしているという印象があります。
今の国際情勢を鑑みても、一歩間違えば、大変な事態になるように思えます。
アメリカと中国との貿易戦争は、どのような状況に転んでも、ありうるという事です。
冷静に平安でない世界情勢に対して、フェイクニュースとして平和なように表現しています。

国内に目を転じても、それは少子高齢化をはじめとして、現状は厳しいものがあります。
私達は、単に争いのない平和な状態だけを求めているのではないのです。
極真精神のように、力と生命力に溢れた、活気あふれる状態でなければならないと思うのです。
国際間の政治情勢は、決して明るくなっているとは思えないし、国内の活力もまだまだです。

政治が、人を喜ばせ、人に受け入れられるような発言ばかりをしているようでは、先が思いやられてしまいます。
それだけに、国民一人一人が、どうであるべきかという事を見極めなければならないという事です。
人に教えてもらうだけではいけないという事です。
自分の目を使い、自分の耳を使って、自分の理性で、判断しなければならないという事です。

それは、極真精神だけでなく、昔から言い伝わってきた倫理道徳を大切にするのが必要です。
新しい道をむやみに歩こうとすることに対する警戒という事もありなのです。
LGBTに対しても、検討しなければならないことはたくさんあります。
幸いな道とは、昔から歩んできた道を踏襲するものでなければならないという事も真実です。

「あなたがたはわかれ道に立って、よく見、いにしえの道につき、良い道がどれかを尋ねて、その道に歩め」という事です。
そのような道を選択しようとしないのが、今の世の中の人のような気がします。
憩いを見出すことができるかどうかは、日々の修練であると思うのです。
それを、実践しているのが、このグループであることは間違いないと確信しているのです。