2019年6月7日(八段語録3545)
極真の初心を忘れることなかれ


 極真という源泉を離れてはならないという気持ちをいつも抱きます。
また、別の流派を立ち上げるような水溜を掘ってはいけないという事も教訓にするのです。
それだけに決して、無益なものに従ってはいけないという意識なのです。
水の溜めることのできない、壊れた水溜を、自分の為に掘って何の益があろうかという事です。

上記の二つの内容は、コインの表と裏のような気がします。
湧き水である極真を捨てて、水を溜めることができない壊れた水源を掘ることは、誰が見ても愚行であるとしか言えないのです。
そのような苦い愚行を犯してはならないという忠告はしておかなければなりません。

かつて、私の弟子で、そのような愚行を犯すような苦い結末を迎える人も出てきます。
空しい者に従って、空しい者にならないようにしたいものです。
私には経験では、凄まじい程の虚無の経験を通じて得た結論は、何か真実なものを求めることになるのです。
かといって、自分の欲望の無限な肯定をしているうちは、苦しい時の神頼みになってしまいます。

人がする本源的傾向は、自分の為にという事が大前提になるのです。
その世界は、レットオーシャンで激しい戦いの連続であろうと思うです。
私の場合は、ブルーオーシャンで戦いのない世界を模索したのです。
要するに、結構ズルいのです。
それが、ある意味で、「皆の為に」何が出来るかという発想でした。

食べ物に満ち足りて、立派な家に住み、所有物が増えて行っている時は、気を付けなければならないという事です。
決して私の力で成し遂げたなどという事は、思ってもいけないという事でしょう。
滅びは、すぐに来るという事を忘れてはいけないという事です。
それだけに、自己の欲望を無限に肯定するという事は、やってはいけないことです。

活動主義に陥ることなく、最初に極真に触れた感動を噛み締めながら日々を送るというのが一番いいのではないかと思うのです。
今日は、交通指導隊での表彰を受けました。
傲慢にならないようにと思っています。