2019年5月23日(八段語録3532)
極真での完全な契約


 極真の道は、人生という大いなる代価を払って、価値あるいきざまを求めていく修練所です。
方法手段や技術を、早くマスターしようが遅かろうが、価値を見出す道です。
私の経験から、歩みを止めなければ、人生は充実するという結論を持っているのです。
実に、私の魂を喜ばせるという事においては、最高の感動を導き出してくれるのです。

テレビの広告で「ギガ不足」に陥っていく王国の描写をしているのを見かけました。
それと同じように、封印されているマスタープランの発見をしなければ、各々の人生で生き様が貧相になるのです。
不足しているのは、ギガではなく、人生を正しく導く愛情の指導であるという事です。
確かに、人生を歩んできて、多くの人の心の中に、精神的飢えや乾きが、転がっています。

それだけに、このグループは、立ち返ることができる豊かな、契約があるという意識は高いのです。
それは、実体験して、修行を続けていくならば、一方的に破棄されることのない契約があるという事です。
それは、普遍な確固として揺るがない人格形成するために必要な事なのです。
稽古をしていると、不思議に、成さなければならないマスタープランの詳細を思い浮かべることができるから不思議な事です。

確かに、肉体と精神を武道で鍛えるという事は、心身の統治を可能とするのです。
その結果、このグループが目指す「家族」が顕現するというものです。
それでも、まだまだ足らないという気持ちは、どんなに一生懸命に稽古をしても終わりがないのです。
私自身が思う道と、理想とする道は、あまりにも異なって、滅びに至るようでも高くあげられるのです。

このような境地を見出すと、「いとすぎはいばらに代わって生え、ミルトスの木はおどろに代わって生える」という事であると思えるのです。
つまり、とこしえのしるしとなって、絶えることはないという境地に至るというものです。