2019年5月21日(八段語録3530)
出産の苦痛のようなものが人生はある


 昨日の雨と打って変わって、晴れやかに空は青空で、太陽の光もまぶしいのです。
日々淡々と歩んでいますが、弟子たちの課題が浮き彫りになって、苦悶しているのも見聞きします。
そんな状況にある弟子を、相談にのるのですが励ます訳にもいかず、「聞くのみ」という事にもなります。
それは、直接私自身の心もえぐられて、苦痛を共有するような心境になります。

決して本人の願いではなくても、訪れる試練というものがあるのです。
それを、どのように消化すべきかという事が、私の指導者としての歩みになるのです。
話を聞くと、心は限りなく重くなります。
また、それだからといって、無視するわけにもいかず、指導の言葉を発するわけでもなく、聞き手に回って、私自身に蓄積する以外になくなるのです。

ところで、そのようにどっしりとした重石を、受け止めるからには、本人に耐える力を補って、一緒に背負うという事が必要になってくるのです。
一緒に苦しみを分かち合うという事なのです。
私自身、聞いて逃げたくなるのですが、そこは忍耐という事です。
この課題を背負って、共に同じ心境になるという事は、悲壮な気持になります。

そこは他人事という事で片付けることではなく、犠牲も惜しまず、付き合うという事です。
女性が陣痛での苦しみを経ると、子の誕生という喜び、そして陣痛の痛みも忘れるようです。
それだけに、私に何ができるかというならば、心を共有することです。
もちろん、本人のレベルではないのですが、苦痛は私に、押し寄せるというものです。