2019年5月21日(八段語録3529)
道場生に対しては決して弁明せず


 道場生の問題があからさまになったとしたら、追及する立場ではなく守るのです。
私の心が、苦しめられることは百も承知ですが、守り続けるという決意が必要であると思っています。
決して体罰を行わず、偽りない言葉で説き伏せる誠意がなければならない思うのです。
道場生の問題行動よりも、私の指導に偽りがないかという事をチェックするのです。

黙って見守るという事でもあるのです。
少年時代は親に守られますが、中高生になると、課題が出てきます。
彼には、自分で自分を弁護しないように指導するのです。
それは、彼の未来に対する信頼を意味するのです。

それだけに、彼の正しく裁く良心を信頼するという作業を心掛けるのです。
良い時も悪い時もあります。
ただ、道場生として入門したからには、私が責任を持つという姿勢は変わらないのです。
それだけに、心が痛むことが多いのです。

それでも、道場生を守り抜き、愛し抜くという事だけは必要なのです。
弁明させるようなことは、道場ではさせないのです。
弁明は、裁判所でやればいい事と心得ているからです。