2019年5月21日(八段語録3528)
人生の真骨頂


 朝から雨で、木々の若葉もしっとり濡れて、新鮮さを鮮やかに演出してくれます。
私の母方の祖父は、剣道を究め、山鳥六段といわれて宮城では敵なしだったそうです。
県大会では、決勝で優勝を争う強豪の一人であったと聞かされていました。
それで、昇段の時には山鳥の御馳走を振舞って、段位を得たという噂なのです。

真偽はともあれ、高段者として後輩を指導した人生であったと聞かされていました。
段位は権威であることから、当時、県には六段は数人であったようです。
このような姿勢は、孫の私にも受け継がれて、誰にも負けない段位を取得するのです。
祖父同様に、私自身も後輩の面倒を見るという観点で、高位の段の取得という意識なのです。

内容は無いのですが、私自身の修練の全てを後輩に投入したいという気持ちになるのです。
その為にも、積極的に人生の苦難に立ち向かうという姿勢が生じるわけです。
多くの道場生の教育の仕掛人が、自分でありたいという欲求なのです。
そんな気持ちが、人生に降りかかる苦難の開拓という気持ちになるのです。

確かに、私が開拓した道を伝授することによって、選手は優勝もするのです。
高速道路のようなスピード感をもって、優秀な選手になるのです。
それも、開拓された心の世界の伝授も含まれるので、迷うことなく頂点へと向かうのです。
このような恵まれた環境は、私が修行していた時代にはなかったことでした。

このような恩恵は、私自身が体験した選手生活の中で培われていると確信もするのです。
自分の人生の苦難がもたらされるものは、道場生への恩恵や平安として継承されていると思っているわけです。
結局、自分の為に段位を獲得したという事ではなく、後輩に恩恵と平安を与えるという、精神的恵沢の為の歩みとしての段位取得なのです。