2019年5月20日(八段語録3527)
いまだ大志は消えず


 何に私は魅かれて、極真空手の門を叩くようになったのだろうかと考えます。
子供の頃から、「オオカミ少年」のような性格であったようです。
というのも、大げさに嘘の表現するのだけは得意であったのです。
それだけに、誰も私から発する言葉を信じる人はいなくなっていたのです。

誇大妄想を掲げて、だれも見向きもしなくなるのですから、寂しい限りです。
それで、本物を目指すには、武道が良いという発想になっていったのです。
柔道も六年間続けました。それでこの柔道を土台に極真空手に取り組んだのです。
肉体が強靭になるにつれ、誇大妄想は、皮肉にも益々大きくなるという結果でした。

武道を通じて肉体を強化するという事は、見るべき姿が大きく表れ、威厳も生まれ、慕われるべき美しさも備わるのでした。
げんきんなものです。青年として若枝の如く、見栄っ張りが、そのまま演出されるままでした。
誰にも侮られる事もなく、人に認められ、破竹の勢いということでの日々になるのです。

何を隠そう私の生い立ちは、貧坊ちゃまなのです。
武士の家系に生まれたこともあって、お金は無くても、大切にされ放題という事です。
すなわち、武士の子孫であるという事を鼻にかけ、傲慢不遜という事でした。
結局、それでもって、反省する姿勢は全く皆無で、前進あるのみという生き様でした。

このブログを読んで、過去付き合った多くの友は、全く異論はないと思うはずです。
それだけに、少し人格が出来上がりつつある私は、贖罪の念に駆られるというものです。
それでもって、指導的立場に立つのですから、ここで「ごめんなさい」と反省です。
面影、風格、容姿において自己陶酔するのですから、困ったものです。

それでも、友から完全に拒絶されていないことに、安堵の念を持ってしまいます。
だからと言って、生まれつきの個性に変革はないのです。
多くの友に迷惑をかけたことを、このブログで謝るのです。