2019年5月18日(八段語録3522)
極真の武具で固めた者の姿勢


 第一に、公義で道場全体の雰囲気を保つという事です。
特に指導者は語る言葉に気を付けなければならないのです。
品性を失う言葉は決して表現してはならないのです。
言葉は、道場全体を支配する決定的な要因になるという事を忘れてはならないのです。

第二に、口で語る言葉が、鋭い剣のように、また研ぎ澄ました矢のようにするのです。
それでもって、敵を射抜くという事です。
「誰一人反論できない」レベルの高い指導を心身共に発するべきなのです。

第三に、「耳が開かれた従順な者」という事です。
要するに自発的従順という姿勢です。
会長としては、そのような道場生を全身全霊で受け取るという気持ちになるものです。
心身とも鍛えて、耳が開かれた従順な者が次の世代を背負っていくという事になるのです。
極真の道を指導する者は、まず十分に諸先輩の話を聞かなければならないという事です。

さて、このような姿勢を持った道場生が、実際の修行生活をするわけです。
たとえ苦しくても恥辱をうけても、喜んで従っていくことができるようにしなければならないのです。
「逆らわず、後ろに退きもせず」という事です。
不倶戴天の決意をもって、日々の稽古に励むという事です。

「恥辱と屈辱の中でも歩めるか」という事を自分に問いかけるという事です。
まさに「顔を火打石にして」という事です。
火打石は最も固い石ですから、どんなことがあっても怯まないという強靭な意志です。
それでもって、極真の道を行くならば、失望落胆はあり得るはずもないのです。

そうすると、私に敵対する者は、「彼らは衣のように古び、しみが彼らを食い尽くす」のです。
これらの表現は、従順による勝利を意味するのです。
極真で修行する道場生の姿勢を三つ上げましたが、どれも重要ですが、今日は特に三番目を強調しました。