2019年5月17日(八段語録3521)
努力の実は結ぶ


 何もない所から、修練は出発する方が良いのです。
極真においても出発は白帯なのです。
というのも、稽古において、現実の厳しさに出会って、絶望することが多いという事です。
白帯とは、そのような厳しい現状で、無心の状態という事なのです。
そんな中、夢と理想への信念だけが、力強い励ましになるというものです。
私自身、人生において、完全に破壊され、全てを失うという経験をしてきたのでした。
その時は、立場に固執せずに、全てを投げ打って戦うという姿勢を貫いたのです。

つまり、世間から見捨てられ、忘れられてしまう事しか、考えられないこともあるのです。
その時の苦労は、私の手のひらに、私自身を刻むという作業ということになるのです。
また、手のひらに、妻の名前を書いて、理想とする青写真、最高の夢の実現に向かうのです。
私のマスタープランは、私の思いの中で、すでに出来ているという「決定と決意」を固めることなのです。

それで、今は、世界の国々に向かって、極真の旗を掲げているのです。
世界の道場生に旗を振ると、「懐に抱かれようと来る」し「世話をするものとなる」のです。
それだけに、極真の修行をする道場生に対して、失望することのない道を示せるというものです。
今となっては、私が敵を打ち破ることができるのです。
それも、主権的な力を表すことができるのです。
それは、極真の旗のお陰なのです。

結論として、極真に立ち返って、修練を続けるならば、溢れるばかりの恵沢を受けるという事です。
そのような道を切り開いてきたという実感をするのです。
決して、人を恨むことはないのです。
まして復讐するという事などは愚の骨頂なのです。
手のひらに、家族を刻んで、私の城壁として、行く道に共に歩もうという姿勢は、今も続いているのです。