2019年5月14日(八段語録3517)
極真に聞け


 安楽な環境にある現代社会のいて、極真空手を継続することは大変であると感じています。
ややもすると、流されやすい生活環境にあることは、百も承知しています。
しかし、年齢を重ねている私にとっては、極真の修行をして稽古をしてきたことの意味を感じ始めているのです。
道場生から見れば、クエスチョンのところがあるのかもしれません。

敢えて、「極真に聞け」という事は、稽古であらゆることを悟ることができるという表現です。
日々は、いろいろなものを背負いこむと、疲れだけが自分を襲ってくるというものです。
それは、重荷を解くこともできず、いつの間に虜になっていくのです。
そして、共にかがみ、腰をおろしてひざまずく結果になるのです。

私自身経験から重荷になってしまうものは、日常生活から金銭のやり取りなどなのです。
必要なのですが、どうでもよい事のように思えるのです。
要するに、いつの間にかあしでまといになってしまう事です。
お金があって自由になる時は、それに越したことはないのですが、無くなると、きゅうきゅうしてしまうのです。
お金に頼っていると、いつの間にか底をついて、困ってしまうというものです。

それに引き換え、極真の稽古人生を振り返ると、あらゆる奇跡を見るのです。
稽古を積み重ねて、昇段していくうちに、無限の可能性を現わせてくれたのです。
そこには、勝利のマスタープランがあり、全面的に指針が示されるのです。
それだけに、若き日の修行時代を思い起こしては、力の源泉になってきたのです。

年齢を積み重ねて、思うことは、あの時に頑張ったのだから、今の苦境は乗り越えるという結論を出すことができるのです。
そのような力強いバックボーンを持つという事は、大切な事だと思うです。
それだけに、今日は、「極真に聞け」という標語を掲げた次第でした。