2019年5月13日(八段語録3516)
極真を仰ぎ見て進もう


 私の生き方は、道場生に武人として見本になることができる人格を示そうとしています。
活動の中で、理不尽極まりない中でも、忍耐の一字でもって対応です。
それは、今まで修行を重ねてきた極真の精神に帰るという気持ちが強いのです。
そして、極真という唯一性の自己宣伝をすることによって、乗り越えられた試練は無いという意識です。

極真という自己宣伝を、自らの心に刻み付けることによって、何事にも臨んだ結果なのです。
それは、私に対して、人生という試練を、征服する道として整えることになったのです。
要するに、「険しい地を平らにし、青銅のとびらを打ち砕き、鉄のかんぬきをへし折る」のです。
それで、この精神に秘められた財宝を与えられるというものです。

何故、極真を仰ぎ見たかというならば、三つの目的がありました。
第一は、自分自身が、極真の神髄を知るためでした。
第二は、道場生に修行してきた内容の全てを与えるためでした。
第三は、極真の道が最高であるという自覚を道場生と共有するためでした。

それだから、極真の道を歩むにあたり、唯一性を強調することを意図したわけです。
途中でへこたれずに、最後まで全うするという手段なのです。
つまり、この道しかないという事に対してのこだわりなのです。
普遍的に潜在意識の中に、叩き込むという事を試みてきた努力の足跡なのです。

結果的に唯一無二性の自己宣伝と結びつけるということなのです。
極真に立ち返るという事を絶対視することによって、人格の成長を促すのです。
また、そうした環境の中で、顔と顔を合わせて、共に稽古に励もうという訳です。
特に、道場を神聖な場所に見立てて稽古をするのですから、より強調されるのです。

極真に立ち返って、力強い成長を促すという意味で、極真を仰ぎ見て進もうという事を宣伝するのです。