2019年5月12日(八段語録3515)
指導者を目指せ


 指導者は、継続しつつ正しくに考えて、まっすぐにし、物事を正すという事が必要になってきます。
振り返ると、指導者の道は、遥かに遠かったように、感じました。
何と言っても、自身を分析するまでもなく、殺伐とした人格に感じました。
潤いのない地に水を注ぎ、乾いた地に豊かな流れを注ぐようなものでした。
それで、がむしゃらに指導者とは何ぞやという事を念頭に置きながら魂を据えたものでした。

「人生の栄光」を、生きている間に実現しようとするのが、生きている証であると思ったのです。
私の決断は、最初から「極真の道」以外にはないという結論を出したことでした。
それだけに、恐れることなく、おののくことなく、先輩が歩いた道を踏みしめたものです。
極真の道を歩んで、直面したことは、他に素晴らしい道があるのではないかという妄想でした。

特に、稽古が苦しくなると妄想を大きくなって、逃げようとすることも多かったのでした。
私の場合、妄想するだけでしたが、先輩たちの中には実際に逃げて、挫折に道を余儀なくされたのを見聞きしたのでした。
私の信念は、登山の上り口を極真の道に決めたのだから、この道しかないという事を生涯貫こうととしたことでした。
迷っては、極真に立ち返るという事を常に行っていました。

それだけに、ほとぼりが冷めると、「極真に立ち帰れ」と心に叫んだものです。
もちろん、反省するという事は常に心がけたのですが、それ以上に極真の道と、決して縁を切らないという決意だけはしたのです。
サボリから間を空けて、道場に通って、稽古をすると、爆発的な感動に包まれたのでした。
そこに、自分の栄光を見て喜び、叫びたくなる衝動にかられたのでした。

そして、今に至るまで極真の道を歩んでいるのです。
そのような継続した貫くことが指導者への道であると確信しているのです。