2019年5月11日(八段語録3513)


 私自身の指導概念が問われるという事でしょう。
それは、公義という事が前提で歩まなければならないという思いが強いのです。
「傷んだ葦を折ることもなく、くすぶる燈心を消すこともなく」という姿勢です。
要するに、道場生に、極真の伝統を正して、私達が指導を受けた極真魂を伝えぬくという覚悟なのです。

そのためには、決して衰えることもなく、くじけることもしないのです。
それは、極真の道を義のために、みおしえを広め、これを輝かせるという事です。
それだけに、どのように私がかかわりをもって、その務めを果たすかを考えるのです。
それは、家族という概念で運営していますから、愛情と信頼の絆をどのように結ぶのです。

そのような契約を道場生と結んでいるという事です。
要するに、私が道場生に対する一方的なラブコールをしているのです。
私の変わることのない愛情をコンスタントに差し伸べようとしているのです。
要するに、このグループの栄光が道場生に輝くという事を確信して運営しているのです。

どんなことがあっても、私は道場生を守り抜くという覚悟があるから、立場を守るのです。
この立場は、道場生のためにあるという自覚をするのです。
決して責任逃れをしようとしないのです。
後にも先にも私が背負うべき十字架であるという信念になっているわけす。