2019年5月10日(八段語録3512)
自己論争での結論


 私達は、「静まれ」というように黙々と日々を稽古に励んでいます。
あくまでも、極真の修行を継続する道場生がが、主役であるはずです。
そのような、発想をしなければ稽古で、「新しい力を得よ」ということはないのです。
このグループでは、あくまでも道場で稽古をする人が主役であるべきなのです。

「静まれ」「新しい力を得よ」とは、何か矛盾する表現のように思えるのですが、その姿勢が人生のキーポイントという事なのです。
要するに、「小賢しい工作をするな」という事が「静まれ」という表現なのです。
そうして、稽古をするならば、「新しい力を得よ」の如く、「走ってもたゆまず、歩いても疲れない」のです。

このように発展していくことができるのは、稽古をしている道場生であるからなのです。
誰が、その道を開拓したのかという事を問うならば、言わずと知れた大山総裁なのです。
もちろん、開拓者に頼るということは、今はしないのです。
あくまでも、道場生の道しるべであり、越えていく目標になるのです。

道場生一人一人の人生は、誰も予見することもできないのです。
人生は、当事者にとって、「恐れ」も「震え」もあるのです。
それだけに、励まし合うことも必要ですが、本人の高い目標がより必要なのです。
それは、「静まれ」という沈黙から大きな飛躍が生まれるというものです。

このグループでの稽古は、道場生に保障をもたらすのです。
稽古をすることによって、人生の保障が得られるという事に目を留めてみようではないでしょうか。
稽古を熱心にすることによって、人生の恐れはなくなるのです。
それは、私の五十年に及ぶ稽古人生の結論であります。

「稽古はあなたを強め、あなたを助け、義の右手で、あなたを守る」というものです。
結果、人生で私に敵対する者を、極真の稽古で粉砕できるという事なのです。
私達の稽古は、人生の最高のマスタープランであることを確信すべきです。