2019年5月10日(八段語録3511)
極真で走ってきて慰められること


 極真一筋に走ってきて、感じることは、悟りが開かれ、理解力が与えられてきたことです。
日々、稽古の中で、「良き知らせ」が与えられてきたことは紛れもないことです。
その稽古は、労苦の途上であり、決して人生の終焉にはならないのです。
それだけに、私自身に対する教育は、未だに続いているという事なのです。

私自身の教育だけでなく、道場生に対して、羊飼いのように、群れを飼い、子羊を引き寄せて懐に引き寄せるようになるのです。
そうして、極真での修行の偉大さを遺憾なく発揮するという事実になるのです。
発揮すると、創造性、無比性、至高性、無限性、無窮性、不偏性、完全性、永遠性が醸し出されるというものです。
道場生に対して、解決しそうもない深刻な行き詰まりの中でも、生きる力に満ち溢れるのです。
また、疲れない心構えを指導できるというものです。

稽古は、一見無茶苦茶で厳しいのですが、日々新しい力を得る原動力を持つのです。
鷲のような翼をかって上がることができ、走ってもたゆまず、歩いても疲れないのです。
実際そのような事があるのかと問われれば、稽古にそのような力は内在するのです。
つまり、稽古で与えられた力は、想像を超える力なのです。

想像を超える力を着せられるのですから、日々ヒマで退屈という事はないのです。
それは、何か特別な能力であるかのように思われますが、稽古がそうするのです。
私自身、今までの人生、ほとんどストレスがないような状態は続いているのです。
決して、誰からも束縛されないパワーを稽古から貰うという訳です。

ややもすると、自己中になりがちですが、それでも正しい精神で満たされていれば、問題は感じないのです。
稽古は、道場生の能力を上げること間違いないと確信を持っているのです。