2019年5月9日(八段語録3509)
文武両道


 武道家でありながら、書物に関しては、事あらば調べて読むことにしています。
分からないことがあったときには、ネットを駆使して原典を模索することもあります。
「稽古と書物」はコインの裏表にあると思っているのです。
稽古は、肉体を駆使することによって、自分に対する「審判」です。
書物は下された試練を「回復」するための必需品です。

さて、私としての、書物に対しては、「つまびらかにたずねて」という発想です。
原典を訪ねて、その意味するところを調べようとするわけです。
そうした積み重ねが、人格の形成に役立つという事にもなるのです。
また、語る言葉に力が増し加わるという事にもなるわけです。

隠された秘密を探り求めようとして取り組むならば、例え常識や理解を超えることがあります。
また、正しく受け止めることができ、理解することができるというものです。
そのことによって、新しい世界が心の奥底に創造されていくのです。
自分自身の威光が広がるという実感をするようになるのです。

書物は、自分自身の心を潤すように、豊かな知識の泉が湧きだし、あらゆる可能性を見出すことができるのです。
構想を描いてきたことが、豊かに実る人生に導かれるというものです。
これができる一つの道が武道であるのです。
肉体を鍛え、理想の回復を目指すということが、可能になるのです。

それだけに、「弱った手を強め、よろめく膝をしっかりさせよ」という意識です。
極真の道は、大路でありその道は修行の道であり、不純な動機ではこの道は通れないのです。
また、みだらな人たちが迷い込むことはないのです。
それだけに、楽しみと喜びが訪れ、悲しみと嘆きは逃げ去る道であると確信するのです。

つまり、文武両道には、精神と肉体の安全保障があるのです。
人生を振り返って、日々が、とこしえの喜びを抱けるというものです。