2019年5月9日(八段語録3508)
立ち上がる時


 波乱万丈な日々を、極真という空手道に生涯を捧げていることに感謝しています。
今までの人生という短い歴史の中でも、ある時は戒めであり、教訓であったりしたのです。
それらの内容を余すところなく、表現しようとしているのが責任を持つものなのです。
記述する内容から、将来起こるべき事柄に対処することを学んでもらえば幸いという事です。

そうでなければ、これからの極真の将来に対して受け継ぐ人たちが、欠落するかも知れないという懸念を持つのです。
極真の歴史を文脈で正しく理解することを怠り、だた現象のみを教訓にするのは、本質を離れていく結果になりがちです。
ですから、このグループの歴史の足跡を知るということで、新たなるビジョンを描くにも、過去をしっかり学ぶということも必要になってきます。
それも、正しく継承することができるというのが、願うところでもあります。

確かに、このグループに対して、裏切るような行為を行った人たちもおりました。
その多くの人達は、踏みにじり尽くした果てに、踏みにじられるものになっているのです。
また、裏切り尽くした果てに、裏切られるのです。
それだからといって、私達は安泰であるかというならば、悲惨になったということも事実なのです。

しかし、私達が「正義と公義」に立ち帰るならば、道は開かれるというものです。
「確実」「不動」「真実」でもって歩むならば、守られるというものです。
そのように歩むならば、威厳のある私達が存在するようになるというものです。

それだけに、いろいろな裏切りや試練があった時こそ、「正義と公義」に立脚する道を模索するのです。
恨みや憎しみから何も生産的な事は生まれるということはないのです。
何か事件が起きた時こそ、「立ち上がる時」であるというのです。
お互いに問題が鬱積されているからです。

反省しない極真手塚グループでは、いつまでたっても発展しないのです。
また、「立ち上がる時」を知らない事にもなります。