2019年5月6日(八段語録3505)
道場生の目は、指導者の姿を見続ける


 初夏の香りを風が運んでくれます。
道場生も長い連休を過ごして、いよいよ本格的な稽古に入るのです。
私自身の姿勢は、原点に立ち返って、静かに道場生の成長を待つという事です。
この道の先駆者として、極真の道は、その人の人生が恵まれていくという実感をするのです。

道場生が右に行くのも、耳の後ろから「これが道だ。ここを歩め」という言葉を聞くはずです。
人に頼るということは、道場では教えないのです。
人に頼るということは、道場では、「恥と屈辱」だけをもたらすだけだと指導します。
理由は、人は何もしてくれないというのが当たり前の世の中だからです。

つまり、人を頼って一瞬にして破滅をもたらされるような歩みをせず、極真の道を行くべきです。
徹底した容赦ない破滅は、頼るところから生まれてきます。
極真に立ち返って、静かにすれば、落ち着いた環境で力を得るはずです。
そうしなければ、人生は打ち負かされて、人生を逃げるようになり、丘の上の旗しか残らないことになります。

確かに、極真の稽古は、「貧しいパンとわずかな水」しか残っていないように思える時もあります。
それでも、指導者は、あなたから隠れることはないのです。
それだけに、道場生の目は、指導者を目を見続けていかなければならないのです。
そうすると、あなたの耳の後ろから、「これが道だ。これに歩め」という声を聴くはずです。

稽古は、道場生一人一人に、「これが道だ」と示すはずです。
私が若い日々稽古をしているときは、汗が滝のように流れたものです。
そこから、もう五十年近くになりますが、絶えず「これが道だ」と背中を押されてきました。
誰からも評価されなくても、押してくれる声に従うということは必要です。

それだから、人に頼るべきではないと忠告するのです。
苦労するかもしれません。
やがて、大輪の花を咲かせる道は、稽古からであり、指導者の姿を見続けることなのです。
それが、人生に向かう正しい関係概念なのです。
最善のかかわりの中で、自由に歩もうではありませんか。