2019年5月4日(八段語録3502)
令和元年で思う事


 東日本大震災を経験した私にとって、大きな災害だけは無いようにと祈るのです。
世界で起こっている様々なニュースをテレビやネットで見聞きします。
様々な映像やレポータによる報告を受けるのですが、その事実を何の疑問もなく受け入れるという年齢ではなくなっています。
特に、世界がどのようになっているかという事を考察するに、メディアの情報を鵜呑みにすることはできないように思っています。

特に注意していることは、教えの風に吹きまわされ、様々な新しいムーブメントに流されないようにという気持ちは強いのです。
それでも、自然災害に関しては、インターネットを駆使しても、最大の関心を寄せていきたいものです。
特に、東日本災害の当事者として、世界からの救援を受けてきたのです。
それだけに、私は多くの支援は惜しまずに貢献していきたいと思うのです。
大災害は、これからも起こることであろうし、宗教戦争もままならないのです。

「地は荒れに荒れて、まったくかすめ奪われる」という現象があるかもしれません。
最近の災害の特徴は、「天の窓が開かれ、地の基が震える」ようなのです。
ここ十年余りの災害の様子は、地震と異常気象からくる大災害なのです。
強い地震が大きな津波をもたらしたという経験をしたばかりの私ですので、用心に余念がないのです。

このような時代、災害で生命を失う人も多いし、戦争で殺される人も出てくるのです。
それでも、私達は、次の世代に受け継いでいかなければならないのです。
要するに、どんなことがあっても「残れる者」にならなければならないのです。
そうすれば、必ずや繁栄がもたらされる時代を作ることができるというものです。

かつて日本も、焼け野原になって、戦争から帰ってきた「残れる者」が国を再建したのです。
この世間に、責任を持つという姿勢は、私達の基本的姿勢でなければならないのです。
そのような意味での、令和元年の意識を持ちたいと思うのです。