2019年5月2日(八段語録3497)
指導者が本物であるべき


 誰が人生の栄光を受けるかというならば、正しい指導者から指導を受けた人である。
それは、どのような指導者から、指導を受けたかということで決定されるのです。
道場生が、極真空手の全体像をしっかり知って、実現してきたことを自分の人生で体現するのです。
実に、空手道という範囲だけでなく、人生をトータルにとらえるということが大切なのです。

道場生にとって、理想が実現するということを考えてみても、すぐに実現することもあれば、十数年に及ぶこともあり、人生の晩年期に達成されるということもあるのです。
人生の生き様は、実に重層的側面を要しているのです。
一つの目標を達成したならば、次へ目指すべき事が生まれるというものです。
人生は何かを理解して、それがどのように展開させるべきかという事を、それを知る必要があります。

それはとりもなおさず、指導者からの享受と、日々の極真の修行を通じてということを主張するのです。
諦めたならば、すべてを失いかねない人生でもあります。
そのために、腰を落ち着けて、稽古に励むということが必要になってくるのです。
また、稽古だけして、人生を考えないようでは、短絡的であるとしか言いようがありません。

その人が、稽古に向かう姿勢、その熱心が人生の勝利者に成りうるというものです。
人生というものは、本人の理解を遥かに超えて、壮大なものだと思うのです。
最終的に実現する人生は、深淵なるモチーフに包まれているのです。
日々の生活に流されず、極真の修行の本質を味わいたいものです。

そこで、結論として指導者は、不思議な助言者であるべきです。
そして助言には、力があり、平和を愛する人でなければならないことは言うまでもありません。
そして、良き家庭を築く人ということは、故手塚会長の遺言でもあります。
それでもって、指導者として、本物の権限が与えられていると確信を持っているのです。