2019年5月1日(八段語録3495)
令和元年


 新しい年号になりました。
心が一新する思いになります。
令和の時代に「残された者」としての歩みがあると思っています。
高齢者になっていますが、生かされ「残された者」としてやるべきことがあるというものです。

六十六歳になるのですから、激しく活動するというよりは、気をつけて、静かにしているべきです。
それも、恐れてはいけないという事であり、心を弱らせてはならないという事だと心に定めています。
令和という年号を頂いて、より極真の修行の道を究めるという覚悟です。
もちろん、年齢も高くなっていることで、極真の他の道も尋ねるべきなのでしょうが、それは、考えることなく、一筋の道を究めようとするのです。

特に、私には狩猟感覚があるようです。
「ここぞ」というときには、形振り構わず突進してくのです。
それだけに、地に根ざした歩みをするのです。
ギャンブルなどは、地に根ざさないがゆえに、私は避けるべき手法であるのです。

令和元年は、自分の能力、情熱以上の神仏に尋ね求めながらの日々が始まるというものです。
それが、これからの子孫に役立つ歩みになるという確信なのです。
また、年齢も高くという事もあって、「生存と保障」を確かなものにする生活をすべきであると思っています。

世の中の動きは、激しいものがあります。
それだからといって、惑わされないようにしなければという気持ちは強いのです。
結構、屈辱的な事はあるでしょう。
それでも、いらだつこともなく、極真の道を歩むのみです。

令和の初めの月は、良いことが起こります。
しっかり、地に根ざして、自分の道を極真に根ざした精神で歩もうとおもっているのです。
とにかく、夢は広がります。
「剃刀」と「蝿」と「ハチ」によって、私の心が荒廃しないようにという事です。
心が「いばらとおどろ」の状態になることだけは、避けていきたいと思っています。