2019年4月28日(八段語録3490)


 富士山は、もろもろの山のかしらとして堅く立ち、もろもろの峰よりも高くそびえ、
多くの人達が、一度は登りたい山になっています。
私も二十代の夏の日富士山に登った経験があるのです。
登頂した時の感動は今でも忘れることができないのです。

さて、富士山に登頂したことが思い出した時には、何か幻を見るようでした。
青春時代は、極真というベースで常に戦ってきました。
それが、指導者になってからは、闘いというよりは、剣を打ち換えて、鍬としているのです。
また、槍を打ち換えて、釜としているのです。

多くの道場生を抱えるようになってからは、決して剣を上げず、闘いの事を学ばず、愛情を注いでいるのです。
また、目を開けて、高ぶる心は低くするように努力し、おごる心は屈めるようにしているのです。
それだけでなく、できるだけ、自分の威光の輝きは、消そうとするのです。

理由は、まだ、エベレストやすべての高い山々があるからです。
すべてのそびえ立つ峰々、すべての高きやぐらが今後の人生にあるからです。
現状で満足することはできないという幻のようでした。
それも、闘いではなく、包容力をもって望む人生でありたいという事の欲求のようでした。

極真空手は、激しい格闘技であるという印象を持つでしょうが、自己管理の日々なのです。
それも、五十年の間、自己管理を戦い続けてきたという事です。
それは、ブルーオーシャンなのです。
誰も行こうとする道ではないので、競争相手がいないのです。

さらに、二十年前から競争相手が少ない道を見つけて歩んでいるのです。
それは、ボランティア活動という事を積極的に推し進めてきたのです。
これも、振り向いても多くの人が参加していない道でした。
そして、幻として極めて行くという事にしようとしているのです。