2019年4月1日(八段語録34822)
いよいよ!


 手塚グループの歴史的事実が日々の活動の中で描かれつつあります。
私は、二十年の間、このグループの目撃者としてブログを綴ってきました。
そして、今年六十六歳という年齢に達するわけです。
私自身、檀家が曹洞宗なのですが、和尚と同じ名前(義道)を頂いたのです。
それだけに、小さな時から、ギドウと呼び捨てにされてきたという経緯があるのです。

それでも、私にとっては、この武道の道を歩む上で、常に心を正すような名前だったのです。
そして、四十五年の間、極真の訓練を受け続けてきたという業績にまでなったのでした。
それも、恵まれて日本中を巡回するときも、世界を回る時も、手塚会長と常に一緒だったのです。
そして、二年前に、手塚会長の後継者になって、不足ならが現在に至っているということでです。

ところで、手塚会長との歩みから、有意義な指導を受けた期間でもあったのです。
会長は逝去されましたが、会長の計画は、これからも残って果たされようとしているのです。
会長は、大山総裁に任命された生まれつきのリーダーであるのです。
しかしながら、私はというならば平凡な人であり、ただ「カバン」持ちという事だけで歩んだのでした。

そんな私に対して、全国の師範達が私に付き従ってくれることを約束したくれたのです。
それだけに、手塚グループの「家族」という精神を守り抜くことは、人一倍強いのです。
それだけに、今抜身の剣を持った会長が常に行く手を守っているように思えるのです。
結果、自分の襟を正すということを、今でも第一義に捉えているのです。

そのような姿勢をもって、何をするかというならば、中央から突破作戦をたてるのです。
そうして、この道を忠実に歩んできたということを誇りとして歩もうとするのです。
必ずや、極真の理想は全うされるという信念だけは、奪われないようにしようと思うのです。
私の不真実や器の足らなさを、カバーするだけの世界大会が開催されたことに感謝なのです。