2019年3月30日(八段語録3481)
原点を思う


 世界大会のために、相当神経質になってこの半年を過ごしてきたのだと振り返るのです。
会長として大会を開催することは、初めてということもあって、眠れぬ日々が続きました。
三月に入ってからは、神経性胃炎なのでしょう。宮城県本部の目の前にある木下内科に駆け込みました。
事情を話す訳にもいかず、胃薬と胃腸炎に対する対応をカウンセリングして頂きました。

要するに、世界大会を開催する器の指導者ではないということを痛感させられたのです。
それも、世界大会を経験したことのない日本の師範達とタックを組むのですから猶更です。
過去手塚会長が千葉のポートアリーナで世界大会をされた時、内部の対立を見たのでした。
それから、二度における国際交流大会を行って、いざ本場という時に、手塚会長は逝去されたのでした。

大会運営で不順順な悲惨な結果にならないようにという事だけが、私の祈りでした。
新世代ともいうべき、今の師範達が、同じ過ちを起こさないようにという事だけでした。
このような、私の心の警告に対して、河崎師範を先頭に、杉原事務局長、伊藤国際部長、菅野師範、宮城師範が、会議を重ねながらスクラムをしっかり組むことができたのです。

無我夢中で、手塚会長と果たすべく約束を遂行するのみでした。
特に、会長が逝去された二年二か月の期間は、荒野の放浪生活のようでした。
大きな理想も空回りの状態で、現実を思い知らされました。
一番、心に誓ったことは、絶対に倫理的退廃の道をグループで阻止しようとしたのでした。

 紛れもなく、このグループの作者は、手塚会長であり私は仲介者であるだけなのです。
それだけに、かつて手塚会長より指導を受けた教えを再記述しているに過ぎないのです。
私自身、新しい指導者にならなければならないと思うですが、器は小さいようです。