2019年3月28日(八段語録3480)
極真の道で「どのように生き残るのか」


 私は極真の修行について、もう二十年近くブログを上げています。
理由は、先輩とした歩んできた歴史を、極真の歴史を知らない世代に伝えるという事でした。
そして、後輩が、何のために極真の修行をしなければならないかということ、知らせるという意味合いが強いのです。
それだけに、二十年に及ぶブログは、先輩として体験した極真の歴史であるといっても過言ではないのです。

さて、私が最近実感していることは、極真も世代交代の時期を迎えているという事です。
私の極真の修行は、人生の戦いをするということにおいて、象徴的な内容になっているのです。
実に私は、人生の試練に対して、戦ってきた内容を詳細に記述しているのです。
そして、このようなブログは、世代交代に対して、後輩に役立つ内容にもなっているのです。

ところで、私と共に歩んだ同僚が、修行期間で、いつしか不平を言いだしていました。
稽古中にもつぶやきが多くなってきたのです。
そして、極真空手で修行していなかった時を懐かしみ、安易な過去を美化するようになるのです。
それも、厳しい神聖な修行の中で、極真の道に反逆する選択をした同僚も出始めたのです。
いつしか、道場で稽古することなく、修行時代をあざ笑うようになっていったのです。

しかしながら、僅かに残った指導者に、新しい世代の若い子供達が集うようになったのです。
そして、新しい世代が、世の中の不道徳に迎合することなく、修行を積むならば、立派な青年になるということが、目前に広がるということを見せられるのです。
それだけに、今の極真の指導者は、世の誘惑に負けなかった人達であったという事です。

これから、道場生にお願いしたいことは、信頼と従順であります。
押忍ということは、そんな意味も含まれているわけです。
残された、極真の指導者と歩むことは、新しい世代にとって希望があるのです。
荒野をさまよって、人生を無駄にすることなく、しっかり残っている極真の指導者と共に歩んでほしいものです。