2019年2月25日(八段語録3474)
子は父の鏡


 息子によって、父としての私が映し出されているようです。
彼は、十九歳で結婚をして、二人の息子に恵まれています。
柔道整復師の国家資格を取りながらも、結局は私と同じ空手の修行の道を歩んでいます。
顔は、妻似ですが、最近徐々に私に性格が似てきていることにハッとさせられます。

それだけに、「家庭生活」は、私が先頭になって頑張らなければならないのです。
また、次の世代へと続く家づくりの計画が深くなっていると思えるのです。
今まで、極真の道で築き上げてきた精神を、息子が受け継いでいるのです。
それは、私の心を喜ばせている要因になっているのです。

間違いなく、極真家族の継承を目的とした息の長い取り組みが叶えつつあるのです。
家庭教育を根幹としながら、息子を励まし続けてきたミニストリーが成就するようです。
親として、子に尽くしてきたことが報われるという事なのかもしれません。
矢筒を矢で満たしたようにも思えるのです。

もちろん、我が家において、課題はたくさんあります。
それでも、誰と語るとしても恥を見ることがなくなっているように思っています。
それだけでなく、どうなるかわかりませんが、結実として男の孫が二人もいるのです。
親子三代に渡って、極真を背負っていくかもしれないという淡い期待にもなります。

このように人生を過ごすことができるのも、私の心を喜ばしている息子がいるという事です。
それは、私をそしる者に、私が言い返すことができる唯一の材料という事にもなります。
親ばかですが、息子は親を映し出す鏡のようなものです。
自分の口ではなく、ほかの人に私を称賛してくれる材料にもなるというものです。

つまり、父としての私が、子によって讃えられるという事にもなるのです。
私と息子は一つの家で多くの時間を過ごしてきました。
そこで、私の価値観が息子に影響を与えたことにもなるのです。
息子の振る舞いによって、私もドキッとさせられることが多くあります。

今日は、昨日と違って自虐的にはなっていないようです。
それ以上に、親バカな一面が全面に出ています。
朝早くから、交通指導隊で小中学生の見守り活動、そして保護司会のサポートセンターで夕方まで、留守番でした。