2019年2月21日(八段語録3470)
日ごと稽古に心を燃やせ


 道場の指導者が「どのように子供達を育てるか」という事が頭に過ります。
この数年の間、選手会で集団で道場生が他の道場へ移籍するということがありました。
その多くの原因が、内部で親の妬みの部分が多かったのです。
稽古に心を燃やすということではなく、道場生同士の恨みや妬みに発展したのでした。

自分の子供を他の子供達と比較するのです。しかし考えてみてください。才能は個性によって、様々です。それだけに、必ず後から良い報いがあるのです。
私達が提唱することは、稽古を通じて、自分の望みを高めていくということです。
その姿勢は、決して廃らないのです。

人を羨ましがるという気持ちでいると、「自分自身の、足がたわみそうになり、歩みは、滑るばかりです」
そして、「愚かでわきまえもなく、獣のような発想」しか生まれないのです。
つまり、見かけだけの華やかさに、目や心が奪われてはならないという事です。
道場生には、次世代への姿勢として、しっかり指導しておく必要があるのです。

私の経験から、稽古を続けていくならば、決して望みが断ち切られることはないと断言するのです。
もし、自分自身に諦めない気持ちがあるならば、自分自身の心は喜びに至るはずです。
そして、いつの間にか、自分自身の唇が正しいことを語り、心が躍るようになるのです。
常に、稽古で「英知と訓戒そして悟り」をもって日々過ごすことができるというものです。

考えるまでもなく、自分たちの齢は七十年、健やかであっても八十年です。私は百年を目指していますが!
自分の肉体が永遠の住まいではないのです。
それだけに、限られた期間を一生懸命に、この肉体を活用しようではありませんか。
もちろん、永遠の住まいがあるかもしれません。まだ死んでみないのでわからないのです。

それゆえ、自分の日を正しく数えて生きるということも必要です。
それだけに、人を羨ましがるなどという時間はもったいないのです。
確かに、地上で生きている間、重荷を背負ってうめいていることは間違いないのです。
それでも、稽古を通じて、常に心を強く保ちたいものです。
日々、望んで実現して、今力強く生きることが必要です。