2019年2月20日(八段語録3469)
道場生を自分が選んだ道に相応しく教育する


 道場生をその行く道に相応しく教育するのが道場の使命です。
そうすれば、年老いるまで、自分の人生を全うすることができるというものです。
有難いことに、最近の道場は、幼稚園や学童の頃から、歩むべき初めの教育に携わる立場に立つのです。
それだけに、人生が道に反れないように道徳教育ができるというものです。

ある意味で、教育することを前提に道場の指導者が関わっていることが重要なのです。
道場生の御父兄にとって、子供の誕生は天からのプレゼントなのです。
親が子供を教育を自由に教育できるものではないのです。
「倫理道徳」や「しつけ」をしっかり定着させなければならないのです。

つまり、御父兄から委ねられて、その子供に相応しく育てるという役割を持つのです。
要するに、道場は、親にとって、養育係という事にもなるわけです。
いわば家庭を築き上げていくという大事業をサポートするのです。
それだけに、子供のうちの最初の教育が重要になってくるのです。

子供達は、純粋ですが、教育しなければ育たないのです。
愚かさが子供の心に繋がっているのです。
つまり、子供は無知であり、幼いのです。
これを、たしなめるのが、道場でもあるというのです。

子供達は、右も左もわからないのです。
要するに愚か者ということに尽きるのです。
この愚かに生まれた子供達を、英知のある者、利口な者に育てるわけです。
もし武道精神を投入しなければ、「過ちを犯す者」「思慮に欠けた者」にもなるわけです。

この「愚かさ」や「無知」を遠ざけるために、極真の道場で心身ともに鞭打つのです。
それだけに、道場は甘やかすところではなく、厳しくしつけをするところなのです。
間違いなく、どの家族も多くの問題を抱えているのです。
それを、武道精神が厳しくサポートするということになるのです。

子供を教育して、その子に相応しい歩みをさせるには、「子供がかわいい」だけでは済まされないのです。
ある意味で、道場は、「懲らしめの杖」をもって精神を鍛えるという事です。
過激な表現かもしれませんが、まさに道場の姿勢が問われているのです。
また。道場で多くの時間を指導者と過ごすということが有意義なのです。