2019年2月18日(八段語録3467)
懐かしき友人との出会い


 三十数年ぶりでしょうか、懐かしい友人と仙台駅前で四時半過ぎに待ち合わせです。
きっかけは、今月に入って東京文京区の後楽園で、ある研修会で出会うことになったからです。
友人とは、私の人生の三十代という黄金期に共に活躍したのでした。
腹の底まで、別荘の根白石で打ち解けて話し合うことができました。

人生の「望みのあるうち」の再びの再会なのです。
友人は、同じ考え方の持ち主ですが、彼の場合、誰にも調和を保てる人格の持ち主なのです。
私はというならば、破天荒な性格ですから、考えが同じでも人生の展開の仕方は波乱万丈です。
しかし私の友人は、人との正しい関係を持つことができる人であり、人格者なのです。
これからの手塚グループで活躍して頂ける重要な人物にも映ってしまいました。

勝手な判断ですが、世界大会や全日本がありますので、渉外部長には最適です。
それだけでなく、教育ラインの構築に関してはプロ級の活躍が期待できるのです。
組織の成長には必要不可欠な腰の低い姿勢と人格の持ち主であり、管理能力は抜群です。
特に、これからの園児や小学生のような二世教育に関しての指導力の発揮は、ずば抜けているのです。

ところで、私が極真空手を始めたきっかけは、精神的にも肉体的にも強くなることでした。
それだけでなく、体を打って傷つけることによって、悪を洗い落とすということもあったのです。
それも、組手の相手がいるということで、腹の底までうち叩くことができたのです。
打たれて、傷を受けることによって、心の隅々まで反省を促すことができたのです。

私にとって、極真空手は、傷つくまで打ち砕かれて、悪いところを清くできたのでした。
要するに、深い傷は悪を洗い流すようでした。
その傷が、私にとって、悪に対しての薬であり、心の傷を治す働きもあったのです。
それが、原動力になって、二度と悪を行わない姿勢が身についたのでした。

友人は、私のそのような生き方の共有者なのです。
正しい人として、潔白な生き方をする心構えのある友人なのです。
単に優れているとか、道徳的に間違いを犯さないだけの関係ではないのです。
夢と理想を共有できた友人でした。

そんな意味では、何か大きなビジョンが広がってきたような気がするのです。
有難い出会いでした。