2019年2月12日(八段語録3461)
自分自身に鞭を控えない姿勢


 私自身に対する鞭は、決して控えないのです。
今でも、甘やかすことなく、わが身に鞭を打ち続けることを行うのです。
自分を愛するということは、自分を懲らしめるということにしているわけです。
極端に表現するならば、自分を愛することは、自分に鞭を当てるという事と思っているのです。

今でも、自分自身に相応しい「しつけ」をするわけです。
それで、その鞭とは、私自身に対する厳しい指摘という事です。
極真会館手塚グループの指導者達は、私に対して遠慮は無いのです。
的確に鞭を打つように指摘してくるわけです。

それで、その鞭を真摯に受け止めて、さらに、三倍以上の鞭を自分に課せるという事をするのです。そうしないと、私自身を「しつける」ということは、至難の業です。
どちらかといえば、甘言に流されがちになるからです。
常に、鞭打つという「一貫とした態度」が自分に要求されるわけです。

つまり、それなりに自戒を含めた「鞭を打つ」という人生観がなければ難しい難事業です。
その指針を、甘やかして時や状況によって変えてしまってはいけないのです。
誰が、その任に堪えられるでしょうか。
それが、私の主権的な事柄であり、姿勢になるわけです。

 さて、自分に対して、「熱心に」「つとめて」懲らしめることができるかが勝負です。
これは、常に謙虚でなければ、難しい難事業になるわけです。
「この任に誰が耐えることができるだろうか」と思って、日々対応するわけです。
この「叱責」「鞭」が基本的に私を教育する糧ということになるのです。

この「叱責」が私の力になるのです。
顔を合わせて、言葉をもって語りかけてくれたならば、それは有難いことです。
もちろん、無言のかたちを取られて指導を受けることもあるのです。
要するに、村八分という事でしょうか。
そのような意味では、この叱責は生命の道であると捉えるわけです。

鞭と叱責は、私に知恵を与えてくれるという事です。
このことは、私の大事業であり、難事業でもあるのです。
そして、否定されたら感謝という事を肝に銘じるわけです。