2019年2月10日(八段語録3459)
家長の責任


疲れ切って、広島から家に帰ってきました。
妻から、まだ広島で実家の整理をする中、子供達のことをよろしくとお願いされました。
家庭教育は親父の責任でもあるからです。
子供は天からの賜りものです。
また、その賜物の管理者として、存在しているのです。
息子も娘達も私達夫婦に与えられた賜物であり、管理することを願われたのであり、子供達に選ばれたことでもあるのです。

私自身意識していることは、家族を煩わせてはならないという事です。
酒もタバコもギャンブルもしませんので、迷惑はかけてはいないと思うですが、自信はありません。
それでも、私が家族のリーダーとして、妻がサポート役になっている気がします。
とにかく、私の意識は、親父として家族にとって悩みの種にならないようにという意識を持つのです。

そんなことで、父親としての権威を自ら失墜させることは、家族を支える土台を壊し、希望も失わさせるということでもあると思っているのです。
話は反れますが、極真会館に対しても、会長として組織を大混乱に陥らせないように、スタッフの意見をよく聞き従うようにするという戒めを抱いているのです。

私達夫婦は、愛し合ってよい家庭を立てようと努力しているわけですので、しっかりとした判断力を持たなければならないという事です。
その意味では、家族を守るという大事業があり、難事業に挑んでいるわけです。
あくまでも、父親として家族の柱であり、土台という意識を強めていく覚悟ができているかなのです。

私達夫婦の報酬は、わが子供達であり、賜物という事です。
子供達と食卓を囲んでいると、豊かに実を結ぶ果実のように思えるのです。
そして、孫ができて、三世代が暮らすのです。
孫達は、私の冠のようです。

それだけに、父親としての重みと影響力あるものとして、しっかり噛みしめていたいものです。
家を継承することによって、各世代の豊かさを引き継ぐということになると思うです。
その責任は、すべて父親の私にあるという自覚をするのです。
この大事業に日々取り組んでいるということになります。

妻の弟の葬儀を終えながら、これから父親として生きている限り、しっかりしなければという気持ちになります。