2019年2月7日(八段語録3456)
発想をもって組み立てる


 今日は、福岡で世界大会の打ち合わせです。
手塚グループと九州の「極みの会」の会長・副会長との会議でした。
多くの意見を出していただきました。
五時間余りの時間が、あっという間に過ぎてしまいました。
 振り返るまでもなく、武道の熟練工として、今に至っているようになりました。
年月だけは名匠という事にもなるのでしょう。
柔道を高校卒業まで六年間、そして卒業してからは極真空手五十年近くです。
だからと言って、地球の生態系を比べても、綿密かつ精巧であるとは言えないようです。

人生をデザインするということは、難しいようです。
生きている間は、過去が過ぎ、現在があり、そして未来に続くのです。
そして、私が目にするものは、一部分にすぎないのです。
その一部だけを切り取って、生涯を送ってきて、実感することは、未熟であるという事です。

ところで、武道の道を究め続けてきたのですが、自分の生き方に巧みな技が生じているのです。
確かに、一部ではありますが、継続してきたということは、それなりに身につくようです。
いつしか、武道という道が、目に見えない形から、見える形に映し出す能力を与えているようです。
要するに、キャンパスにデザインを描くように、形に現れるわけです。

そこには、僅かな短い人生でありますが、緻密さと計り知れない関りの秘儀になるのです。
そして、喜びと楽しみに満ち溢れるという事にもなるのです。
それだけに、人生を組み立てる者が自分自身ということになるのです。
私がその組み立て方によって、毎日喜び、いつも楽しんでいることができるというものです。

 さて、私の生き方というならば、「楽しみつつ」ということが原点になっているのです。
それが、日々の元気になって、何かを創造しようとするわけです。
今日も、生きようとする気持ちに逆らうことはないのです。
自分自身で、人生の何たるかを組み立てて、それを少しづつ行うのです。

日々は牛のように遅い歩みですが、何かを組み立て、実行するということが大切なのです。
九州福岡での会議は、世界大会に向けて多くの意見と示唆を頂きました。
それも、すべてにおいて、好意的なのです。
有難い気持ちを心に抱いて、眠りにつくことができました。