2019年2月4日(八段語録3453)
指導者の教えを瞳のように守れ


 道場生に対する指導のようなものです。
女の誘惑に負けてつき従う「思慮に欠けた若者」の姿にならないようにという事です。
理性的・意志的な側面で、「あなた足らないんじゃないの。」と言われないようにという事です。
誘惑は、本来の愛情の交わりを破壊し、人生を失わされてしまうのです。

極真会館の歴史を紐解くまでもなく、「思慮に欠けた」道場生が「心にたくらみを秘めた」遊女に心を傾けて、稽古も修行もしなくなるケースが多くありました。
結局、厳しい修行よりも、誘惑でうつつをぬかし、怠け者いかになるという事です。
そのような意味では、極真の教えに従って、心に留めて修行をすべきという事です。

私の経験からしても、「心にたくらみのある女」は神出鬼没で、いろいろなところで待ち伏せをします。
実に憶面もなく、近づき、巧みに口説いて誘惑するというものです。
その誘惑の行き先は「よみへの道」です。
このような誘惑によって、多くの優秀な道場生が犠牲になりました。

その数は「数えきれない」という事です。
誘惑する女も「悪い」のですが、道場生にもそれなりの落ち度があるのです。
それは、指導者の言う事に耳を傾けなかったという一言に尽きるのです。
若かりし青春期に、指導者の言葉を守って、極真の修行をするならば、正しい女性と出会えるというものです。

このような指導は、私の経験からの指導です。
また、手塚会長の信念でもありました。
道場生に対する指導者の思いが、修行の中で、道場生に働きかけて、世話をして自分の瞳のように、守れということだと思うです。
要するに、「自分を宝物のように大切にせよ」という事です。