2019年2月3日(八段語録3452)
両親からの教え


 ふと、私の幼年時代の事を思い起こします。
両親に断りもなく、近くの洋服屋の幼馴染の女の子と我が家で遊んでいたのでした。
そこに、親父が夕方帰ってきて、女の子は家に帰され、私は親父から素手で殴られました。
まるっきり、理由も分からなかったのですが、母も親父と一緒に怒っていました。

もう小学一年に入る頃には、同じように両親に怒れないように、女の子との会話が無くなっていました。
その後は、幼馴染で、男の同級生、私を含めて三人の友情だけが両親に認められたのです。
小学から中学、そして受験の時は、夜中行ったり来たりしたのですが、両親は決して怒りませんでした。

幼い時に女性と付き合う事が身の破滅を招くという警告を、両親から受けていたのです。
女性を傷つければ、たとえすべての財産をもって償おうとしても、その贖いはできないという事でした。
今になって思えば、男女の遊びの恐ろしさを、両親は私に教えようとしたのでした。

それだけに、父親の命令は絶対に守るという気持ちに至っていました。
もちろん、母の教えも捨てることは無かったのです。
小さいころから、私の寝る時、私を見守り、目覚める時、話しかけてきたのです。
それだけに、小さい時から今まで育ててくれた両親には感謝しつくせないのです。

 ところで、親父に対しては、子供ながら強く感じました。
親父は、頑固なほどに決して妥協しないのです。
そして家の妻と子供達を守っていたのです。
母親はというならば、父親と子供達を接着剤のようにくっつけてくれるのです。
母親は、決して親父の悪口は言わないのです。

私はというならば、「種」のような存在であったようです。
家族の「種」であり、家を継承するという意識を持たされたのでした。
両親に従いながら、私は家を建てるという役割があったのでした。
家はそんなに裕福ではなかったのですが、しっかり「家庭教育」されたのです。

単なる処世術や、しつけの教育だけでなく、両親が「成熟した大人」に育てようとしたという事です。
それは、私の両親にとって、片手間な事ではなく、大事業であったのだと思えるのです。
それをこれから、私の息子にするかというならば、難しいと思えるのです。