2019年2月2日(八段語録3451)
「怠け者」の自分からの脱却


 私自身を分析すると、「怠け者」という結論に達します。
とうのも、手塚会長とよく会話をしたのですが、私の動きが、悩みのの種のようでした。
動かないくせに、欲の皮だけ人一倍張っているようでした。
さらに、一年中厄介事を抱えて、いつも相談していました。

それだけでは終わらず、結果的に面倒なことはできるだけ避けるのです。
成すべきことがあるにも関わらず、「もうちょっと」といって後回しにするのです。
また、自分は動かないで、物を欲しがるのです。
最も嫌な側面は、結局人をうらやむことしかしないようです。

最悪、手塚会長によく言い訳をしていました。
その言い訳の内容は、「怠け者」のくせに、最も賢いような振る舞いをするという事です。
最後は、やることなすこと、後手後手で気が付いた時には、手遅れとということが多いのです。
誰に言われることもなく、このような自分を指摘されると、「そうだ」と納得してしまうのです。

 さて、そんな私にとって、極真の修行をするということで、何とか「怠け者」脱却を図ろうとするのです。
蟻には首領も司も支配者もいないのです。
そのような、蟻のところを行って、やり方を見習わなければならないと思うです。
そこには、夏のうちに食物を確保して、刈り入れ時に食糧を集めているのです。

私の様子を客観的に眺めると、しばらく眠り、まどろみ、手をこまねいて、また休むようです。
何故か、いつまでも寝ていることができ、「目をいつさますか」という様子です。
それに引き換え、私の妻は朝早くから、夜遅くまで、働きづめなのです。
それだけに、いつも妻から刺激を受けるわけです。

私は、妻に「働け」と命令したことはないのです。
妻は自分の務めを果たし、一生懸命働いています。
つまり、家族のために、夫や子供達、孫達のために働いて、生命の継承をしているようです。
それは、誰もが認める真実なのです。
極真の修行は今まで行ってきましたが、妻を見習うのは、私にとって、ハードルが高いようです。