2019年1月28日(八段語録3450)
私の「泉」


 私の「泉」とは、「妻」の事を指しています。
もう、四十年の間、心を共にしている人生です。
その妻を大切にして、妻を愛する人生を送ってきたことになりました。
これは、人生の目的と深くかかわって、私の行き着く極真の道である修行をつないでくださったのです。

不安定な青春時代の時から、尽きることのない生命の泉を降り注いで頂いたように思います。
それだけに、妻に対して真実を尽くし、私の本心を妻にのみ注いできたのです。
それだけに、「真実を尽くして夫婦生活をする」という夫婦観になったのです。
この生き方が、私の人生の根源に敷かれたのでした。

夫婦での生活は、乾いた喉に水を注ぎこむようなものです。
当然、一日中活動してきて、乾いてしまう喉があるのですが、その喉を潤してくれるのです。
十年間の恋愛期間があって、その間、真実な愛を求めていた私の渇きを潤してくれたのです。
それ故に、決して乾くことのない、生ける水を与えてくれることができる女性は、この人であると確信もあったのです。

私自身、人生において、無用な「水溜」を掘る必要もなかったわけです。
また、「見知らぬ女性」に夢中になることもなかったという事でした。
それだけに、若い時から妻と人生の苦楽を共に楽しめたという事です。
この女性の泉を祝されたものとして、夢中になってきた人生でもあるわけです。

確かに一寸先は闇です。
それでも、二人三脚の人生は、がむしゃらに走れるというものです。
今日を生きるという事に関して、何の保証もありません。
ただ慎重に、しっかり足元を固めて歩むのみです。

良い女性との出会いは、泉が枯れないようです。
離婚という事には縁が遠いのです。
「次に何を成就しようか」と心がときめきます。
結論の出ていない人生ですが、日々充実しているのです。