2019年1月25日(八段語録3449)
結婚における節操


 単なる道徳・倫理の域で理解するのではなく、家庭の在り方を問うのです。
つまり、人としての根源的視点からの発想をするわけです。
自己を高めようと修行の道場生は、遊女に心を奪われてはいけないという事です。
女性とのお付き合いをするということは、夫婦になるということが前提が望ましいのです。

女性の誘惑は、「くちびるは蜂の巣の蜜をしたたらせ、その口は油よりもなめらか」という事でしょう。
「しかし、その終わりは苦よもぎのように苦く、もろ刃の剣のように鋭い」という事であり、
「その足は死に下り、その歩みはよみに通じている」とも言われています。

要するに、誘惑は魅力的であり、その誘惑の言葉は甘く、そして心地がいいのです。
しかし、一度その誘惑に乗れば、破滅の苦しみを味わう事になるという事でしょう。
すなわち、その結末は「よみ」、すなわち死の道につながっているというものです。

最初から、誘惑する者は修行の道に無関心であり、結末が中途半端になるのです。
それ故に、私が極真の修行をしていた時は、女性に幻想を抱かない歩みをしていたのでした。
それだけに、結婚における貞操の教えが私には必要であったのでした。
このような意識で、修行をしていたので、破滅という最悪の状態に陥らなかったのです。

できるだけ、道場生は、なるべく女性を遠ざけ、その門を避けるのが賢いのです。
「今の時代に何という事を言うのだ」と言われるかもしれませんが、私の人生の実感なのです。
私の人生の破滅という最悪の状態に陥ることなく過ごせたのも、このような勧告があったからなのです。
修行の道を重ねると、誘惑も多いものです。

ある意味で、誘惑から分離する人生を送ったという実感もあるのです。
誘惑は、釣り合わぬくびきになることが多いのです。
私の青春時代の人生体験として、肝に銘じて闘ってきたことです。
だからと言って、一生独身ということにはならなかったのです。

良き出会いがあり、修行の人生を支えてくれた女性が現れたのです。
それは、結婚という形で結ばれ、良き家族に至っているという事なのです。