2019年1月25日(八段語録3448)
理性ある心から感情の心を管理しよう


 武道を継続して、このグループを率いていくことで感じることがあります。
それは、力の限り、私自身の心を見張るという事です。
分析しなければならない、自分の言動があります。
現代社会では、パワハラやセクハラの用語は禁物になっています。

特に、武道において、昔からの厳しい言動は、現代では通じないのです。
最近、スポーツ界でパワハラ、セクハラで訴えられるケースが多くあります。
このグループでは、厳しい稽古ではありますが、体罰などは禁物なのです。
というのも、手塚会長から、理性ある心で指導するという事を指導されてきました。

何故、自分の心を見守る必要があるのでしょうか。
心は、理性的な側面と感情的な側面があるからなのです。
どちらかというならば、悪なる感情が理性を上回ることが多いのです。
それだけに、事件・事故がちまたに多く勃発してしまうという事にもなります。

それだけに、私の心のうちを保たなければならないという事にもなります。
今、私が心掛けていることは、力の限り、自分の心を見張るという事です。
生命の泉は、ここから始まると思っているのです。
要するに、感情的にならず、むしろ頭の中で考える「知性的側面」の意識を持つという事です。

 もちろん、いつも悪いことだけに傾き悪が増大するのも禁物です。
それだけに、思考によって、あらゆる行動を制御するということが必要なのです。
もし、否定的な考えの生き方を発想すれば、否定的な生き方になります。
思考を一新して、発展的に発想するならば、それにふさわしいようになるというものです。

せっかく、武道に厳しい修行をしているのですから、天が地より高いように、私の思いがより高くありたいという気持ちにもなります。
それは、第一に厳しい修行で得られるものは、果てしない向上心であり、型にハマらない生き方です。
第二に、それによって、価値ある真珠を見つけようと上り詰める心なのです。
第三に、自分の思考を、願わくは、極真の概念に刷新していくという事です。

それだけに、心のうちに、手塚会長の言葉を心の内に保ち、力の限り自分を見張っていきたいものです。