2019年1月17日(八段語録3446)
稽古は受けるのではなく捜し求めて見つけ出す事


 極真空手は見つけ出し探し求める道場です。
確かに、子供の頃は、親に導かれて道場に通うのですが、自我が芽生えると変わるのです。
徐々に強制的なもでなく、自ら求めるようになるのです。
指導者としても、伝統的な姿勢として、願っている教育法なのです。

大人に入るころには、「求める」ということが第一義的になるのです。
素晴らしい目標を見つけた人は、持っているものすべて売り払ってでも叶えようとするのです。
良い目標は、探し続けている人でなければ、見つけることができないのです。
この事を言わんとするのが、今日のブログの趣旨です。

確かに稽古は単純であるかのようですが、頭を熱心に働かせることになるのです。
何度も技を繰り返す中で、悟りを得るというものです。
その悟りを求めてもらうのが、道場の教育法でもあるのです。
まさに、隠された宝を探すようなところなのです。

価値あるものを見つけるまで熱心に捜し出すまで、稽古は継続するのです。
そして大いなる人生のマスタープランである、計画を立てるようになるのです。
それは、単なる苦労ではなく、平安を与える計画であり将来に希望を叶えるものなのです。
それだから、心を尽くして日々の稽古をするとが大切であるのです。

 さて、人生を経験してると、憂き目や痛い経験を多くするようになります。
そこで、極真空手を通じて、最も重要な宝である「人生の知恵」を得るという事です。
そのために、日々「呼びもとめ」「捜し」「探り出す」という事なのです。
結局、熱意ある姿勢が不可欠になるというものです。

私の経験から、稽古は心の中に入り、自然に英知が生まれ、心を楽しませてくれるのです。
結局純粋に何事に対しても感動することができ、美味しい食事を食べた時のような満足と心地よさを味わうことができるというものです。
蓄えてきた稽古量が、人生の中ですべて繋がってくるというものです。

断片的であった日々が、論理的にも結びつくようになるのです。
論証し、結び合わせ、比較して確信を引き出す特別な能力に至るのです。
この能力は、日々の稽古で鍛え上げられて行くのです。
それを日々体験しているのが、この道を修行している道場生であるのです。