2019年1月15日(八段語録3444)
極真空手を無限大に広がる意味であると捉える


 最初から極真空手の概念を決めてしまってはならないのです。
私は、一般で言いう極真空手という定義を決めつけてしまわないのです。
振り子を振る範囲で許容するという作業をするのです。
つまり、一生追いかけていくことができる道として模索するのです。

いつも、極真空手という概念を別の言葉で置き換えようとする作業をします。
理由は、飽きないようにするということも含まれます。
それ以上に、極真空手を新たにすることを学ぼうとするのです。
つまり、極真空手の切り口を変えて思考法を養うことにしているのです。

また、極真空手の本質を多角的に発想するという事にもつながるのです。
それは、私自身の人生の捉え方であり、自分自身の教育法なのです。
効果としては、多様性を学ぶという事にもなるのです。
そして、ブログでも多角的に表現するという試みに至るのです。

自分自身の人生のあらゆる経験を極真空手に映し出して歩んできたのです。
それだけに、極真空手というものを多角的にということに至るのです。
そこに、英知の本質があるというものです。

 この曖昧さが、実に人生のしつこさなのです。
食いついたら離れないという事にもなります。
人生、極真空手ざんまいですから、物笑いの対象にでもなりそうです。
それでも、そのことゆえに、「自ら考えて、いろいろなことを見出すというテクニック」にもなるのです。

その先駆者が、手塚会長でもあるのです。
極真空手を、家庭教育に至らせているのです。
そして、教育の重要性と自覚を訴える武道団体に手塚グループは至っているのです。
それだけに、手塚会長の訓戒に従って修行ができたわけです。

よく電話で、手塚会長の訓戒に聞き従えました。
その教えを捨ててはならないと心に誓ったものです。
それだけに、世間の惑わしに合わないようにもできたわけです。

武道教育が家庭教育に至るとは、まさに無限大に広がる多様性という事です。