2019年1月14日(八段語録3443)
極真空手の目的と対象


 極真空手の創始者が大山総裁であるということは、理解せずに入門してきます。
それでも、空手のビジョンと内容を見極めて、「教育的指南」をしてくれると理解するのです。
それで、稽古を通じて、基本・移動・型・組手で成長できる道のりがあるのです。
特に学童は、稽古を通じて成長して、目に見えるように強くなり、武道の教育の成果が表れるのです。

もう三年も通うようになると、空手の話を聞いたり、質問するまでに至るのです。
そして、道場生として驚くほどの成長を遂げる姿を見るのです。
それからは、大人顔負けの稽古をするのです。
内容が日増しに充実していくことが、指導者にも伝わるというものです。
児童から空手を始めて、十年もすれば、人々からの印象は驚きをもって迎えられるのです。

そのような理由から、園児であれ学童であれ、何もわきまえない内から学ぶのが良いのです。
未熟であればあるほど、良いという事です。
もちろん、教育する側は両親であったり、学校の先生であったりします。
特に、極真空手の武道教育を選択していただくと、父性的な側面からの指導になるのです。

まだ未熟な心に、教育の杖が、道場で炸裂するというものです。
「愚かさ」「無知」で繋がれている状態を打破するのです。
多くの礼節や知恵を学びます。
そして日々の稽古が、悟りを広げてくれるのです。

 極真空手は、「遊び」という訳ではなく、思慮ある訓戒を体得するのです。
わきまえのある者への変身を遂げるというものです。
もちろん、技の学習を通じて、思慮を得させるということも出てきます。
そのような意味では、明確な目的があるというものです。

稽古をする中で、「よく注意し、よく考え、良く調べ、よく悟る」ということになるのです。
稽古は、人それぞれに応じて、対応でき、振り子が左右るうように幅を持つのです。
つまり、一つの答えだけでなく、いくつかの答えが考えられると理解できるのです。
極真の稽古は、理解力を深め、肉体を成熟させるだけでなく、聡明な人になり、指導力も高まるというものです。
続けている道場生の親からは、驚嘆の声も聞くのです。