2019年1月7日(八段語録3440)
動機づけになる極真修行


 極真空手を漠然と稽古するという事では、強固な関心を持つことができないのです。
現状の自分を新たにするという事ですから、しっかりとして動機づけが必要です。
極真空手の修行の働きかけは、このグループでは家庭から始まるのが原則です。
その意識を貫かなければ、途中で挫折してしまいます。

家庭を原点とする関わりになるという事です。
今までは、個人として、修行を捉えがちの武道であるがゆえに、「見捨てる」ことにもなるのです。
私達は、「家族がしっかりできなければ、修行するのもむなしい」としているのです。
青少年を教育しているように見えますが、実は家庭から取り組むことを始めているのです。

極真道場としては、親と子の麗しい関りを願うわけです。
それは「矢筒と矢」の関係に似ています。
連携プレーがなされるというわけです。
もちろん、そのために自分自身が整えられる必要があります。

この自分自身を整えるというところが、稽古という事です。
しかし、それだけではないのです。
そこから、自分の担うべきところ、ゆだねられた部分を責任をもって行うことができるというものです。
要するに、自分の家庭に面する課題の解決ということになります。
道場の稽古に携わるということは、親子共々自分の務めを道場の稽古で悟るという事です。

 直接稽古をするのはもちろんのこと、子供を見守るということも大切なのです。
何故ならば、「稽古をする」「稽古を見る」ということで、自分の務めに関わることが見えてくるのです。
自分の務めの領域に対する責任というものが、親子共々自覚するというものです。
私達の道場は、なるべく親子で参加するように工夫しています。
見学はもちろんのこと、積極的な親は、一緒に稽古をしているのです。

理由は、良き家庭にしたいということが、動機づけになるからです。
学習塾とは、根本的に違います。
預けて終わりというわけではないのです。