2019年1月4日(八段語録3438)
武道教育で思う事


 極真空手が低年齢化して、二十数年の期間が過ぎています。
私たちの時代は、大学生と一般がほとんどでした。
それだけに、強さを目指した時代であったのかもしれません。
そして、昨今は幼稚園児から始まる学童からの空手修行になっているのです。

現代社会において、武道教育が叫ばれると思っています。
それも、「家庭教育」の根幹としての精神に至ると思ってるのです。
教育は、一般的に「家庭教育」「学校教育」「社会教育」に分けることができます。
この「教育」で最も重要でしかも優先順位が高いのは「家庭教育」であると思うです。

ところが、今日最も崩れている領域が「家庭教育」ということが言われ始めているのです。
「結婚」という事を考えてみても、離婚率の増加によって家族が安定しないのです。
つまり、子供達にとって「拠り所が壊されている」といっても過言でないのです。
それだけに、子供達が正しい道を歩むということに関しても不安定になるというものです。

現実的に、離婚率の増加ということは、家庭教育にとって容易ではないのです。
それだけに、今置かれているところから、始めるということになるのです。
そうすると、極真空手における精神教育は大切なツールになるというものです。
「親から子へ、子からその子へ」という大事業を始めなければという課題と捉えているのです。

 さて、子供達の精神に密着して、家庭に寄り添って稽古で取り組むという姿勢が極真空手なのです。
それだけに、日々の稽古は、父兄とともにという事を意識しているわけです。
空手の稽古を媒介にして、親子が会話がなされるとするならば、良き関係が生まれるのです。
武道の精神と親子の知恵が重なり合うならば、家庭に深く魂が根付くというものです。

武道における、精神の臨在感は、子供達はもとより、親に対しても影響を与えるのです。
一人一人の感じからは様々ですが、おぼろげながら日々の稽古で影響を受けるのです。
その影響を与えようとする精神が、人間に与えられた本来の生き方を回復するというものです。

それも、家でゲームをするのとは、根本的に異なります。
あくまでも、修行の道ですから、狭いもんから入るようなものです。
好んで稽古をするというものでもなくなります。
夢や理想がなければ、稽古はただの苦痛そのものになってしまうのです。
その前提になっているのが、稽古における教育法ということになります。

志をもって、空手の稽古をするならば、親からの真意が子供に伝わるというものです。
武道教育は、師から弟子へ、親から子へと伝える教育法を成熟させるものであると確信しています。
そして、最も大切な精神を学ぶというものです。
それを日々の稽古で会得するということになるわけです。

極真の稽古は、組手に至りますから畏れを感じます。
それを克服するという実際的な訓練が始まるというものです。
そのような意味では、道場には最高のテキストが用意されているというものです。