本部長通信189  2008年5月22日

極真精神と我々(3)


 極真精神は、組織ではなく、個人からの確立が原点です。師範から、家庭を通じて、社会、そして国家をつなげて、世界に到達するのです。結局、極真精神の出発点が師範を中心として、展開されるのですから、師範が問題であるという指摘は当然当てはまるのです。
 宮城県本部が、極真精神に満ち溢れるかどうかは、師範個人が動機となります。そして、個人個人を合わせて、活動を展開していくことになるのです。極真精神は個人の確立を目指して道場という機関をつくってきたのが今まででした。
 それゆえ、極真精神の究極目的は一体何でしょうか。極真会館の使命として考えたのは、世界のため、世の中のために貢献するとか、世の中のために利益になるような立場に立つということのように思っていたのですが、それらの内容は第二の目的であって、極真会館の第一の目的は、大山総裁のような人物を地上に立たせるということなのです。
 第一の大山倍達の次にくる、第二の大山倍達なのです。中心人物が立たなければ極真精神の実態を見せることもできないし、ただの観念論に終わってしまうのです。

師範稽古 お休み