本部長通信188  2008年5月21日

極真精神と我々(2)


 極真精神の理想は、必ず、人間関係に引っかかってきます。先輩・後輩の関係,先生・弟子の関係なのです。先輩は後輩を育ててれば問題はありません。また、先生が弟子を正しく導けばこれも問題ありません。しかし、この人間関係で引っかかってくるのです。前後関係、上下関係、みな善悪の関係に傾いてしまうのです。
 もちろん、師範の一日の生活においても、朝、夕において、師範を中心としてみれば、良い時もあれば、悪い時もあるのです。あるいは一時間の間でもそういう関係になっているのです。師範の言葉にしても、その言葉を中心として良き言葉と悪しき言葉が吐かれているのを反省してしまうのです。
 一切が善悪の関係を結んでしまって完結していくのです。極真精神の場合でも良き極真精神と悪しき極真精神の二つの方向に分かれてしまわざるを得ないのです。大山総裁の死が極真会館の大きなわかれ道であったことは間違いないのです。
 極真精神は絶えず交差点上にあるということなのです。喜びの基準を少し考えてみましょう。もし、極真精神が何事もなく全員一致で継承されていたとするならば、これは嬉しいことですから、喜びが湧いてくるはずなのです。その反面、このような分裂という事態になった場合には、何気なく悲しみを感じてしまうのです。毎日のわれわれの生活を検討しても、自分に損害になる場合、悲しさを感じ、自分に利益になる場合嬉しさを感じるのです。
 
師範稽古 長町教室 本部選手会 移動蹴り40分