2012年10月31日(八段語録1852)

教育の三大目標(2)


 指導者はどうあらなければならないのでしょうか。師の中の師でなければならないし、親のような存在にならなければならないのです。そして、空手道の技術はもとより、武人としての生きざまを示さなければならないのです。そのように今の道場生に人生の妙味と醍醐味を示さなければならないのです。
 このように、大いなる人生の醍醐味を味わうために、人間としての欲望を探し求める術を示すのです。その教えとはどのようなものでしょうか。学校教育をはじめあらゆる教育現場で知識を得てきました。私たちは知識を土台とした思いやりや親切にする心を指導することになるのです。
 理想的人間になるためには、知識ばかりでは悲惨になるというのです。その知識を土台とした、精神的武装が必要になるというのです。そのために、師の立場であり、親の立場であり、主人の立場に立てるような人格的教育が必要であるというのです。産むのは父母ですが、育てるのが師であり、主人という事になるのです。それは、どこにおいて話す言葉かというならば、家庭において話す内容なのです。その内容を指導者がサポートするという事なのです。
 このような人物を道場生から排出するという事になると、人格的側面での見本にならなければならないし、愛情を注がなければならないという事になるのです。指導者は投入してなお投入しなければ道場生は育たないのです。それゆえ、私という存在は六十年の生涯をかけて歩んできましたが、いまだ終わっていないのです。
 このような背後に、道場生があることを知らなければならないのです。自分を主張する前に、先輩を、そして先生を主張しなければ、誰も道場生本人の存在を保護し育成しようとは思わないのです。このような事が基本となって教育は行われるべきなのです。また当たり前の事を私が話すので、またと思うかもしれませんが、この事がとても重要なのです。